事件

久しぶりの更新。
アキバで凄惨な事件が起きました。
7人を殺し、11人を重症に。
「キレやすい世代」で「キレやすい」と周囲に認知されていた真性の人間失格が、
アキバで人を轢き人を刺し殺しました。
無差別。
意思のない犯行。意味を持たない犯行。誰も、救われない。

哲学者や評論家がここぞとばかりに騒ぎ立てる毎日は、
当分の間続くでしょう。
まだ、時期的に早すぎるためか、まだ。攻め立てる論調ではないのもいつものこと。
まずは週刊誌が激しく見当違いに叩き、ワイドショーが追従し、
まぁスポンサーからゴーが出るんでしょうね。祭りになる。
別にTVの話はどうでも良い。

身近で起こる理不尽な事件は、東京に住んでいれば何と無しに起こるものです。
中央線の飛び込み自殺なんて名物のようなもの、
引ったくり、詐欺、強盗。ヤクザの抗争なんて時代がかったものでも現実に起きています。

じゃ、この事件だって、良くある部類?
そんなことはない。だから書いています。
論じる、までいかないにしても、コレにより考えさせられる点は無数にあります。

動機なんて、どうでもよい。何が理由だろうが、無差別殺人の理由にはならない。
誰が何といおうが、私は、理由など、認めない。
動機などが存在したところで、誰も救われないのだから、無くてよい。知りたくない。

なぜ、このような犯行が起こるのか。
動機、と言う観点ではなく、社会の体制として、
全ての有権者が考えなければいけない問題である、と私は思う。

無差別と言うのは、それこそ昔から存在する。
無差別であるということだけに着目しているわけではない。関係が無いわけでもないが。
その土壌について、考え、対策し、潰していかなければ、
いついかなるときでも「人は死ぬのだ」と覚悟が必要になる。
・・・。
一部の人間にとって見れば、
いや、世界的な規模で考えてみればとても多くの人が、
「明日の命など知れない」「そんなことは当たり前だ」
そうなのかもしれない。
日本が、日本人という民族が、安穏とし過ぎているのかもしれない。
しかし私は、だからこそ私は、そんな日本人であることを誇りと思い、
日本を誇らしく思う。
愛国心、とは違う意味での、
日本を愛する心だ。

命の価値を知らない、のかもしれない。
何によって生かされているのか、その恩恵に甘んじすぎているのかもしれない。
けれど、それがいけないことだろうか。
我々大人がそうではいけないのかもしれない。
次代を育む上で、盾となって打破しなければいけない事はあまりにも多すぎる。
殺伐した戦いの中を勝ち抜いて戦い抜かなければいけないのかもしれない。
生きる、それは闘争なのだろうか?と。

否定も肯定もしない。
けれど、戦いの場がずっと少ない国。戦う必要が少ない国。
とても、よいことなのではないだろうか。
だから、私は、日本が好きだ。

考えなければいけないこと。
それはいつ来るか分からない「銃撃」から大切な人たちを守ることや、
自分自身を安全に生かすことなど。
そんなことではない。そんな事は核シェルターに篭っていたって、
ただ、確率を減らすだけでしかない。

大切なものが奪われる。
そこに理由が無い。納得が無い。救いが無い。意思が、無い。
あれば良いわけでない。あって欲しいわけではない。あると許せるわけではない。
ただ、理不尽な世の中が、この日本で蔓延することを、私は許したくは無い。

だから考えたい。
なぜ、こうしたことが起きるのか。
端的な発想から言えば、まず、教育だ。
未成年に対する「扱い方」が軽すぎるのだ。
親が悪いとか学校が悪いとか、そんな小さなものではない。
一人ひとりの問題だ。
ガキを甘やかしすぎる、簡単に言えばそれだけだ。
ガキに媚び過ぎなのだ。

世の中が何故ここまで、他人の壁が厚くなったか、ご近所付き合いが出来なくなったか。
核家族?そんなバカな。犯罪になるからだ。
一部のバカが付け込んだために、
親切な大人が減り、他人事として処置するしかなくなったからだ。
親切心で、痴漢扱い、変態扱い、犯罪者扱いされたらたまらない。
義侠心で逮捕されたら本末転倒だ。
教師が、医師が、警官が、上司が、親が、神が。
みんな関わりを禁じられていく、禁じることが正しいと、
自主性とはそういうものだと、世界は常に諭したのだ。

高度成長時代、人の価値を貶めて貶めて、替えなどいくらでも居る、
そんな経済中心の社会に発展していったツケが、きっちりまとまっているのだ。
今、なお。

事はPTAだなんだの子供を守る、などという範囲では、ない。
自警団よろしく、町を守るために町内会の結束を深めればよいわけではない。
事件を起きにくくする事は出来るだろうが、防ぐことが出来ないのだ。

別に、今回の事件がトリガーになって何かが連鎖するわけではない。
始まったわけでもない。とっくに始まっているからだ。

なぜ起こったのか?
そんなのはおおよその良識人が分かっているはず。
「日本だからこそ、ここまで起こるのが遅かったのだ」ということに。

小学生をレイプする事件が多発する隣国を持ち、
高校で銃を乱射するような友好国を持ち、
それでも影響が小さかったのは、ひとえに日本人が良識的だったからだ。
臆病だから、でもいい。合理的ではないから、でもいい。
なんでもいい、起きなかったのだ。
知能とか教育ではなく、本来あるべき社会性が高かった、民族性の問題だ。

だが、それが崩れてしまった。
教育で取り返せる段階も過ぎてしまった。
何故なら、彼ら彼女らは、既に世の中に放たれているのだから。

想定していた事件は、
団塊の世代による「ヒマを持て余した」犯罪や、
年金や医療費などが圧迫されることによって考えられる生きる為の犯罪、
そして期を過ぎたはずの団塊ジュニアによる世を儚んだ自殺の多発。

それがどうだ、世界に甘やかされて育ったはずのガキたちが、
恩を仇で返すごとく、あり得ない犯罪を起こしている。
想定外だ。

自衛は出来ない。東京で無ければ安全?そんなことはない。
有名な土地でなければ問題ない?そんなことはない。
彼ら彼女らは、
思いついたとき、思わされたとき、
とても引き金とは思えない軽いショックから、
人間の所業とは思えない発想を基点に、独自の論理性から計画を立て、
そしてためらわず実行する。
後のことなど、どうでも、よいのだ。

こうした「現実味の無い事件」を引き起こすヤツらを、
ゲームが原因、TVが原因、マンガが原因と、よく動機について討議される方々が居る。
大昔から、彼らは言う、娯楽が悪い、と。
そろそろ気づいて欲しい。

おまえらが悪いのだ、と。
この世の中をこうも発展させたのは、
良くも悪くも、マスメディアだ。
そして迎合してきた自称「詳しい学者」どもだ。
反論は認めない。別に責任取れというわけではない、自覚をしろと言いたい。

民衆はおまえらの言うとおり、バカの集まりだ。
つまらない嘘を簡単に信用し、世の中を知った気になり、
世界に参加しているような気にさせる。麻薬のように。
聞き手が知りたいことを伝え、知りたくない事を伝えず、
都合の悪いことは一切報じない。
ただただ虚実を創り出してきたのが、今の世の中だ。

満足かと問いたい。
これからどうするのかと問いたい。

民衆はバカだ。私もバカだ。
裏づけもなしに報道を信じる土壌が出来上がりすぎていて、
簡単に信じてしまう風潮もある。
アジア特有の秘匿性に加え、
アジテーションが得意な欧米の方法論を採用し、
どこに民主制が見られるのかと問いたい。

何故、こんな展開をしたのか?
それは犯人が、静岡の派遣社員が、
「アキバで犯行を行った理由」がマスコミが原因であるとしか判断できないからだ。

オタクだから?アキバはオタクの聖地だから?
アホか。
オタクの聖地なんて造語、おまえらが勝手に捏造したモノだろう。
どれだけの、善良な「一般人」を巻き添えにしたと思っているんだ。
殺されたのは「オタク」なのか?
アホか。おまえらが無責任にあげつらった結果がコレだと自覚しろ。

今後「何が起こるかわからない」世界が蔓延する。
模倣犯など既成概念の問題ではない。
どんな方法であろうが、殺される人間は、
意味も無く殺されるのだ。理由も無く。
理由なき犯行に手段など関係が無い。自衛の手段も無い。

銃の携帯など、日本ではあり得ない。よくてスタンガンだ。
アクセルべた踏みの2tトラックにスタンガンで立ち向かえと、
自衛に詳しいマスコミは報道してみろ。
いつ死んでも良い様に遺書の書き方でも放送するといい。

とにかく、
日本人の「心」が「発生を抑制」していたはずの、
「起こるべくして起こる先進国的な犯罪」がついに起こった。
もう、幕は下ろせない。

世界がすぐに変わったわけではない。第2第3の事件が確定したわけでもない。
だが、いついかなる場所でも人は意味も無く殺されることが、
この日本でも証明された。

この事件だけが理不尽なわけではない、当然だ。
未成年者を狙ったクズの犯行が多く取りざたされているが、
そこには、理解は到底出来なくても、目的がある。
とても幼稚で理不尽でバカらしくて擁護などとんでもない、なぜ生まれてきたのか、
そんなクズ野郎にも、自分勝手な「理由」があるのだ。
何次元先の発想か知らないが、理由は確かに、脳にあったのだ。

だが、これから「理由無き犯罪」が増えることが予想される。
これが引き金になるからではない。
すでに引き金は引かれており、発砲待ちの状態なのだ。
彼ら彼女らは、発砲したくて仕方が無い。
やり場の無い衝動をぶちまけたくて仕方が無い。
誰も構ってくれないのだから、誰でもいいのだ、相手は。
ただ、待っている、それだけだ。

なんでそんな土壌になったのか、もうどうでもよい。もうどうしようもない。
年が増すにつれ、
彼ら彼女らは増えていく。確実に増していく。
止める事ができない。

年金などが無事に回収できると思うのか?
そんな社会が今後も確立すると思うのか?
人と交われば不幸になる、
結婚すれば不幸になる、
子を育てれば不幸になる、
子が多ければ不幸になる、
子が育ちきれば不幸になる、
親であり続ける限り不幸になる。
そして、一人であっても不幸になる。

生物としての人間としての在り方を否定する世の中にして、
そんな歪な作りに発展させ奨励し見せ付けてきた結果だ。

世の中はそんなに捨てたものじゃない。
おまえはそんなにしょっぱいわけじゃない。
まだやれる。
もっと行ける。
おまえをいつも見ててやる。
胸を張れ。
生きよう。

その程度の言葉を、
たかが「言葉」をかけるだけ。
かけるだけなのに、
それすらを否定し続けてきた全ての者達が、
これから、いついかなる時も刺されるであろう危険におびえていくのだ。

・・・。

しかし、人は忘れていくのだろう。
そんなこともあったね、と、忘れていくのだろう。
そして、また、彼ら彼女らをすげなく扱い、
ガキを甘やかし、他人事のように満員電車に揺られていくのだ。

マスコミのどうでもいいアジに迎合し、
どうでもいいスポーツの勝敗に一喜一憂し、
ビールが旨ければ明日を乗り切れると、肩を揺らしながら布団に紛れ込むのだ。

人生とはなんだろうか。
理由も無く殺され、理由も無く殺す。
隣人のことよりも、スポーツ選手やアイドルについてのほうが詳しい。
自分って、なんだろうか。
何によって構成されているのだろうか。

楽しい?
生きていて楽しい?
生活ってなんだろう。
生を活かす。
死ぬ、そのときまで。

死ぬ覚悟、必要でしょうか?
それとも、生きる覚悟が必要なんでしょうか?

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事件 への1件のフィードバック

  1. サイエンティスト より:

    ニュースや新聞で事故を取り上げて「~人死亡」とか聞いて、悲しまずに面白がっている人もいるようで。身近な人が死ねば悲しみますが、自分に関係ない人だと巻き込まれて運が悪かった。メディアで「死」に慣れて「命の重み」が薄れたんでしょうか。死を教授して、いつ死んでもいい様に生きらればいいのですが。

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